こんにちは、はじめまして。
医師・産業医の須藤です。
当社では、顧客企業へ産業医サービスを提供する「企業向け 産業保健アドバイザリー」という事業を担当しています。
産業医は、医学生・医師にさえあまりよく知られていない存在ですが、じつは日本の企業社会を支える重要な裏方役です。近年、企業経営者たちにとって、従業員の健康問題、とくにメンタルヘルス問題は大きな悩みとなっています。産業医を始めとする産業保健スタッフにとっても、メンタルヘルス対策としての企業支援業務はとても大きな割合を占めるようになってきました。
今回は、職域におけるメンタルヘルス不調と産業保健の関わりについてご紹介します。
尚、この記事で言うところの産業保健スタッフとは、産業医、企業内の看護師・保健師(まとめて産業看護職)、心理職、衛生管理者・安全衛生推進者・衛生推進者などのことを指します。
産業医とは何か
産業医は、医師のうち一定の学科や研修を受けた者が名乗ることが許される資格です。医師免許さえあれば内科・外科などを制限なく名乗ることができるのとは異なり、追加資格を得た状態です。多くの医師にとって産業医の資格取得自体は難しくはありませんので、国内の医師34万人のうち9万人(26%)が産業医資格を持っています。しかし、産業医として実働している医師はその三分の一(3万人)程度と推計※されています。[※(公社)日本医師会産業保健委員会答申(平成28年3月)からの推計]
人がもつ何らかの権利を制限することについて、医師免許以外に追加で資格が必要となります。医師が追加で取る資格という位置づけで類似のものとしては、精神保健指定医(疾患の状態によっては強制的な入院治療を行うことができる資格)や母体保護法指定医(不妊手術(生殖不能化)を行うことができる資格)があります。産業医はいわば「働く権利を制限できる資格」と言えるでしょう。
産業医の業務は、「労働者数が50名以上の事業場(企業組織の一つの拠点)には産業医を選任しなければならない」、「衛生委員会に産業医を参加させなければならない」など、労働安全衛生法という法律によって定められています。
労働安全衛生法の目的は、その第一条に書かれているように、「労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進すること」です。その目的のために、かなりの数の条文が「事業者は○○○をしなければならない」として事業者の義務を規定していますが、事業者が自らの仕事を進めながら医学知識まで習得するのはさすがに難しいということを国もわかっているわけです。そこで、同じ法律で「産業保健分野については産業医をアドバイザーとして利用しなさい」と書かれているわけです。
職域におけるメンタルヘルス不調の現れ方と対処
さて、人が働くということは、プライベートの生活には存在しないようなストレスに出会うおそれがあるということでもあります。
ストレスとの因果関係が明らかになった疾患は多数あり、それらをまとめてストレス関連疾患と呼びます。職業場面のストレスによってストレス関連疾患が発生するまでの流れを表した有名なモデルがNIOSH(米国立労働安全衛生研究所)による職業性ストレスモデルです。
図: NIOSHの職業性ストレスモデル
この図は、仕事上のストレス要因(仕事量や質、人間関係、裁量度、温度や騒音等)を受けた人が、急性ストレス反応(心理面、生理面、行動面への変化)を起こし、やがてストレス関連疾患などの問題が生じるという流れを表しています。その流れを加速させたり、緩和させたりしうる要因として、年齢・性別・性格といった個人要因、仕事以外の要因、上司・同僚・家族からの支援などの緩衝要因の関わりも描かれています。
一般にイメージしやすい抑うつ・不安・不眠のようなメンタルヘルス不調ばかりでなく、腰痛・頭痛といった身体症状や、勤怠不良のような行動も、ストレス反応や疾患の一部として幅広く含まれるのがポイントです。
いかがでしょうか。皆さん自身や周囲の人たちに、このような様子を感じたことはありませんか。
産業保健とは、企業組織の内部で働く人々の健康を守るための活動ですから、ストレス関連疾患対策も当然ながら重要な関心事です。
ところで、産業保健という学問分野・事業分野は、医学の諸分野のうちでも予防医学の性質が強い分野です。その予防医学の大原則が「なるべく上流で食い止めろ」というもの。NIOSHモデルで言うならば、「下流域」である疾病の段階で処置を行うのも大切ですが、「中流域」=ストレス反応の段階で拾い上げて対処したい、できることならもっと「上流」にあるストレス要因そのものを抑えたいという考えで、様々な対策を行います。
産業保健スタッフの関わり
ストレス関連疾患に対して産業保健スタッフができる支援策は多岐にわたっています。
「下流域」はすでに疾病になった人が発生した場合です。この場面での対処は“医療者”としての性質が比較的強いもので、代表例が産業保健スタッフが企業内で行う診療行為や面談です。とはいえ病院のように検査機器や薬が十分にそろっている企業はごく稀なので、基本的には社外の医療機関へ行ってもらいます。ときには長期間にわたる休業も必要になるでしょう。ある程度治療が安定したころ、元どおりの仕事へ復帰できるのかを評価したり、疾病や障害ができていて元の仕事に戻れそうにない場合は職場としての配慮計画を提案したりするのも、産業保健スタッフの仕事です。
残念ながら、下流域の対処だけしていても、上流・中流から流れてくる不調者の数は減りません。
「中流域」はNIOSHのモデルのストレス反応の段階です。この段階で対処するなら、一般的には早期発見と言えるでしょう。疾病に発展していないか、治療の必要がないかを評価してもらうために、この段階でも医療機関受診を提案することもありますが、「問題なし・治療なし」として帰されてしまうことも多いのが実状です。この段階では、労働者の話をよく聴くこと(傾聴)がとても有効な対処となります。適切に話を聴けるのであれば、聴く側の立場は誰でも良いので、衛生管理者・上司・人事担当者のように医療資格を持たない人がこの役目を担うことも可能です。しかし、適切に話を聴くことと、すでに要医療レベルだった場合(疾病にさしかかっていた場合)に確実に医療へつなぐ点に関して、やはり医療職の方が有力であることが多いのです。
「上流域」への対処こそ、産業保健スタッフの腕の見せ所です。何しろこの段階では、ストレスにまつわる不調が目に見える形で発生していないわけです。必要なのは心理学・精神医学の知識ばかりではありません。労働関連の法律・政策、さらには他企業の失敗経験であるところの判例・裁判例の知識も総動員して提案内容に説得力をもたせ、職場の物理・化学的な環境や、企業内の制度・文化・人間関係・安全衛生体制などに働きかけていくことで、まだ芽も出ていないようなメンタルヘルス不調発生の土壌を改善していきます。
ちなみに、目に見える病気になってしまった下流域で対処すると「先生のおかげであの人の命が助かりました」とたいへん感謝されますが、上流の対処を提案すると「ささいなことに『危ない危ない』と騒ぎやがって」とうるさがられます。もちろん、どの対策を行うにも費用がかかります。上流で対策を行うメリットは、今後その企業組織に入ってくる未来の労働者にも自動的に予防的効果が及ぶこと、費用対効果が高いことなどがあります。上流域の提案が「うるさいおせっかい」ではなく「ありがたい提案」として企業に受け入れてもらえるために、普段から経営層・幹部層に信頼されておくことも、産業保健スタッフの仕事の一部です。
おわりに
産業保健スタッフ・産業医について、職域におけるメンタルヘルス不調との関わりを中心にご紹介しました。
元気に働く労働者にお目にかかる機会はなかなかありませんが、みなさんが元気に働けるように影ながらお手伝いしているのが産業保健スタッフなのです。
もし見かけたら声を掛けてみてください。