【あたまに電気を流す治療があるって本当?効果はあるの?】
こんにちは、株式会社ライデック 学術広報の佐原です。
“微弱な電気を脳に流す”=経頭蓋電気刺激技術に関する特集記事を2〜3本書いていきます。株式会社ライデックでは以前から何度か、このtDCS技術を用いた論文を紹介してきました。
・ADHDの認知機能UP
・LDの読み書き能力UP
など、発達障害に対しての研究も行われていて、今後は様々な応用が期待できる技術の一つだと思っています。また、ライデック代表の松澤医師もtDCSを用いて臨床研究をはじめます!
因みに、「危険じゃないのか?」という声がよく聞かれますが、危険性はほとんどありません。そのイメージは昔は盛んに行われていた電気ショック(電気けいれん)療法による“短時間の強い電流(900mA)”からくるものでしょうか*1。それは、tDCSによる長時間の微弱電流(最大2.0mA程度)とは全く別物です。))。わたし自身、大学内でこの装置による刺激を何度も受けていますが「痛い」と思ったことは一度もありません*2。
tDCSの基本をまとめてみる。
・目的は大脳皮質の活動を変化させること。
・刺激は0.5~2mA程度の弱い直流電流を5~30分。
・刺激したい脳部位直上の頭皮から与える。
・基本的には非侵襲的な刺激であり被験者は電極位置に僅かな痒みを感じる程度。
(代表ブログより)
但し、十分な知識がないまま取り扱うことは危険です。コンセントや電池1つでも使い方を誤ると危険なように、安全な使い方を徹底するように注意勧告が出ています。
この度2019年3月13日にNHKの番組でも放映されましたように、近年、経頭蓋直流電気刺激(tDCS)は自分で刺激できる簡易な装置が一般に販売されるようになり、スポーツや算数の成績向上に役立つという効能が謳われてきています。しかし、これらの効果は科学的な検証が十分に為されたものではなく、装置の安全性の検証も不十分です。番組では当学会のtDCSの安全性に関する提言が引用され、刺激の上限について述べられていましたが、この刺激以下の設定であれば安全であるというものではありません(臨床生理学会といわれていましたが当学会の誤りと思われます)。当学会の提言では、tDCSの安全な刺激パラメーターの範囲はまだ十分確立したものではなく、病院や研究施設の倫理委員会の承認を得てから行うものとしており、方法に精通した医師の管轄のもと科学的な検証のために行うことを前提としております。国際的な機関であるinternational federation of clinical neurophysiology (IFCN)のガイドラインでも、同様の注意勧告がされています。(日本臨床神経生理学会HPより)
第1回では、最近のレビューから情報をまとめてお伝えしていきます。
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<未だに未解明の作用機序>
「脳に電気を流すって本当に効果があるの?」
読者の中には初めてこの技術を知った人が多いと思う。ここでは、いくつかのセクションに分けて紹介したい。
- 「経頭蓋電気刺激(tES)は効くのか、効かないのか」
- 「経頭蓋電気刺激(tES)の基本原理」
- 「現代科学でわかってきたメカニズム(仮説)」
近年、うつ病の改善や運動機能障害のリハビリテーションなどへの有効性が報告され、臨床応用への期待が高まってきている。さらに、学習や記憶力の向上への効果も報告され、学習障害など様々な分野への応用が期待されている。非侵襲的な脳刺激法で健常人の認知能力も高め、ほぼすべてのタイプの患者の臨床状態を改善することができる。これだけ聞くと「頭に電気を流すだけで能力UPする」夢のような技術に思える。
「ローリスクハイリターンなのか?」
初めに述べておくと、数多くの世界中の研究による努力をもってしても、現代科学ではtESによる効果の詳しい作用メカニズムを説明できるまでに至っていない。簡便な手法の割に大きな効果を得られる可能性にはたしかに胸が躍る。実はtESの妥当性に関して、科学界では楽観論があり、基礎研究をとばしていきなり応用研究へ進んでいく節がある。実際に、わたしも製薬開発のように動物実験から慎重にステップを進める必要はないと思うし、手探りでもヒトに良い効果が出ればラッキーという印象である。
ここでは、これまでの研究でわかってきたことから、tESの理論的モデルをいくつか紹介したい。tESは「安全」で「簡便」に行える技術であることは間違いないが、脳の複雑さを考えると決して「単純な」技術ではない。
<1.電気は脳に効くのか、効かないのか>
「作用機序も分かってないものを使うのか?」
たしかにその通りである。もちろん、全く仕組みがわかっていない訳ではない。後ほど“原理”を説明するが、読者が知りたい情報は「効くのか」「効かないのか」、そして「何に対して効果があるのか」だと思う。一言でいうと、「様々な効果が効いたり、効かなかったりする」。つまり、結論が出ていない状態だ。
仕組みを単純化すれば、脳内のニューロンの働きを意図的に変動 (興奮⇔抑制)させることが可能だろう。しかし、これまでに一度でもtESを使用したことがあれば、この単純なスライディングスケールの推論 (興奮⇔抑制)を適用しても、必ずしも神経生理学的または行動学的なレベルで望ましい結果が得られるとは限らないことはわかる。人間の脳は絶妙に精巧緻密で、動的で自立し、外部の刺激に対応する能力を持っているので、さまざまな環境に合わせて対応できる。
研究者の間でも肯定/否定の二つの意見が対立している。
- 「電気刺激が誘導する最終的な脳の応答は決まったパターンで、結果を予測した上で扱える」
- 「脳の神経変調は微弱な電気では誘導できない。そもそも、tESは認知領域において効果はない。」
「それでも効果は期待されている」
tESの有用性は多くの研究が実証していることは間違いない。それでは、tESの効果を事前に把握するためにはどうすればよいか。科学者はこれからtESの効果を正確に認識し、慎重に結果を解釈する必要がある。私は「効いた」「効かなかった」の二元論で説明すべきではないと思う。脳の複雑さを考慮するとそのような結論に至るはずだ。
この記事を読んでいる読者もきっと、ヒトの脳のような複雑なシステムが皮膚の上から流した弱い電気で認知機能が大きく変わることは想像しないと思う。逆に言えば、それは安心できるということではないだろうか。
もしtDCSが劇的に脳機能を変えてしまうとして、それがずーっと続くのは、良い影響ならいいかもしれないが、悪い影響がずっと続いてしまったら困るのでは?? (代表ブログより)
例えば、一次運動野のtES後の運動誘発電位または指の動きを測定するしよう(左図)。ここで可能な結果の解釈は、「もし一次運動野の興奮性が増大したのであれば・・・」という推論にすぎない。それに加えて、一次運動野の電気生理学的および行動学的な評価をしていくことでtESが「どの程度効くか」の正しい解釈が可能になる。
しかし、複雑な運動シーケンスの学習をテストするとなると話は別だ。「学習テストの成績が向上した」という最終的な行動結果のほんの一部しか、一次運動野の興奮性の変化からは考察できない。中間のメカニズムはブラックボックスのまま、tESがこの学習テストの成績を向上させた(効いた)ことになってしまう。研究分野全般に言えることだが、結果だけを取り上げて結論を出そうとすると誤った解釈へとつながる可能性がある。
次にtESが人間の脳と相互作用する具体的な原理とその結果の解釈について、最新の研究からの知見をまとめてみた。
<2.経頭蓋電気刺激(tES)の基本原理>
「異なる3種類の電気刺激法がある」
- 直流 (tDCS: direct)
- 交流 (tACS: alternationg)
- ランダムノイズ (tRNS: random)
それぞれの電流に特徴があり、脳への作用原理が異なる。
①直流(tDCS):
tDCSは皮質に垂直に直流電流を流すことにより、直流が刺激の極性に応じて逆の影響を及ぼす。ニューロンの膜電位を脱分極(陽極刺激)または過分極(陰極刺激)させることができるため、ニューロン発火率を増加または低下させることができ、その効果は刺激後も持続するため臨床的に最も研究が行われている。
②交流(tACS)と③ランダムノイズ(tRNS):
tACS(交流)とtRNS(ランダムノイズ電流)は、電流が時間的に変化するtDCSの変形である。 tACSは特定の周波数振動が脳と同調現象を起こすことにより、活動中のニューロンネットワークが刺激の効果を増幅させるといわれている。
tRNSはその刺激電流がランダムに変化する。 tDCSやtACSとは異なり交流電流はもはや電流の向きに意味を持たない。tRNSは最近導入されたばかりであり、報告が未だ少ないがその効果については長期増強様の現象の誘発が挙げられている。
「tDCSの特徴を簡単にまとめると?」
tESとまとめて取り扱ってきたが、大部分の研究はtDCSであることからtES=tDCSとして原理を紹介していく。(因みにtDCSの基本は以前に弊社の代表が取り上げてまとめている。)
経頭蓋直流電気刺激法(tDCS)入門 (1) - 神経科学者もやっている
ものすごく大雑把に言って、膜がプラス方向に傾くと神経細胞が興奮しやすくなり、マイナス方向に傾くと活動が抑制的に向かいやすくなる。
tDCSをかけると、直下の脳皮質に分布する神経細胞で同じ現象が起きると考えられている。基本的に細胞膜の電位が上がると神経細胞は興奮側に傾いて、受けとる信号を強化する方向に働くし、細胞膜の電位が下がると受けた信号を弱める方向に働くので、陽極刺激によって神経活動は強化され、反対に陰極刺激によって神経活動は阻害される。
(代表ブログより)
tDCSは直流であるため電流に方向性 (プラス・マイナス)がある。プラス・マイナスの電極がニューロンの自発的活動をいかに変化させるかを表した図を作ってみた。
原理を簡略化して解釈すると次のようにいえる。
- プラス (陽極)では、ニューロンの発火頻度の増加がある
- 逆にマイナス (陰極)はその低下がある
これらの電流がニューロンの内部と外部の両方で電気活動の変化を誘発し(活動電位を誘発するほどではないが)、静止膜電位の変化を引き起こすので、結果としてニューロンのシナプス効率を変化させることがわかっている*3。つまり、tDCSの陽極側はニューロンの興奮性を高め、その結果として行動の能力を高めることができるが、陰極側はニューロンの興奮性を低下させ、行動のパフォーマンスを悪化させる可能性があるということだ。
しかし、この単純な双極性効果の推論(興奮⇔抑制)が当てはまらず、必ずしも行動レベルで望ましい結果が得られるとは限らないこともわかってきた。tDCSがこのような直線的な様式で機能しないことをはっきりと示すメタアナリシス研究がある*4。多くの要因(そのほとんどは未知である可能性が高い)がtESの結果を左右し、結果の予測を難しくする。単純な運動機能であればこの双極性効果を生じるが、特に様々な脳のネットワークに指示されている「認知機能」は陰極の抑制効果を受けないようだ。
デバイス上で設定するのは直流や交流、ランダムノイズなど電流の種類と電流の大きさ、刺激の時間などだ (左図)。一定の電流を維持して流すだけ*5の非常に簡便な装置であり、最近はポケットに入るほどのポータブル機器となって登場している。
ネットでも簡素なものが沢山販売されている。Amazonでは3万円のデバイスを見つけた。安全面には疑問が残るが、少なくとも原理的にはこれで十分だと思う。
tDCSの強みは非常に簡単(安くて手軽)に行えることにあり、副作用の程度も軽いということだろう。その代わり、良い効果も悪い効果もあまり持続しない。効果量が小さいと言ってしまえばそれまでであるが、持ち運びが可能で、機器の価格も高価でないことを踏まえると、病院に通わずにリハビリの補助としての使用が自宅で可能になるのではないかと期待している。
次に最近の研究でわかってきたtESのメカニズムについて、幾つかのモデルを紹介する。最後にこれらのモデルからtESの効果を一貫した視点で提唱したいと思う。
<3.現代科学でわかってきたメカニズム(仮説)>
「結局はどういう原理なのか?」
tESの概念モデルを反映した論文が出てきたのはここ数年 (2010年以後)の話である。ただ、そのほとんどがtDCS機能に焦点を当てて考えられてきた概念モデルだ。他のモダリティ (例えば、tRNSやtACS)に対しても同様に有効であるという仮定の下で「tDCS=tES」として述べさせてもらいたい。
いま考えられている仮説は、異なる脳の階層レベル(細胞・神経ネットワーク・行動)で機能していると考えられているので、それらは相互に排他的ではなく、これらの仮説モデルのうちどれか一つが正しいというものではないので注意していただきたい。
① 刺激依存モデル : Stimulation-Dependent Model
刺激に対して、脳は単純に受け答えをするという考え方だ。つまり、刺激(入力)と単一ニューロンが全て直接関与していて、最終的な行動の変化 (出力)に結びつくという概念モデルである。
tDCSではこの考え方は非常に一般的であり、仮説というよりは基本原理として受け入れられている。陽極・陰極それぞれがニューロンを脱分極・過分極し、行動を改善あるいは悪化させるという「単純明快」な構造がtDCSが簡便な手法として用いられる理由の一つとも考えられる。
刺激依存モデルは、陽極あるいは陰極刺激がニューロンを興奮させるか抑制させるかという、すべての中間レベルを無視した0か100のモデルだ。この刺激依存モデルではっきりと言えることは、「細胞単位のミクロレベルではtDCSの電気生理学的な変化がおきている」ということだ。しかしながら、「ヒトの研究では、最終的な出力(行動)は複雑であり、必ずしもこの基本的なメカニズムとは直接関係しない」
つまり、このモデルは基本として念頭に置きつつも、脳およびニューロンの複雑さは全く考慮していないことは理解しておかなければならない。例えば、刺激領域の脳の細胞構造、ニューロンの種類などは非常に重要だ。仮に陽極刺激がとある領域の神経細胞集団の発火頻度を高めたとする。しかし、刺激したニューロンが「行動悪化につながる投射」をしたり、「抑制性神経」だったりした場合は・・・?大事なことは「特定のネットワークの興奮性を高めることは、必ずしも良い行動を促進するものではない」ということだ。脳の神経活動が高まったとしても、パフォーマンスが低下したり、まったくパフォーマンスに影響を与えない可能性があると知っておくべきだろう。
② ネットワーク活動依存モデル : Network Activity-Dependent Model
次にネットワーク活動依存モデルである。この考え方は刺激依存モデルをうけて、より結果の出力に最適化するためのモデルである。感覚運動、認知、感情などの機能が脳のネットワーク活動に依存することを考慮すると、tES効果もネットワークレベルで考えたほうが良好に機能するだろうと予測されている。
tESのきわめて重要な疑問は「特異性がどのように形成されるか」という点だ。いくつかの研究グループは、tESが神経“調節”技術であり、所与のタスクの実行に潜在的に関与するニューロンのみを調節すると仮定している*6。つまり、望ましくない副作用を減らしながら、有効性を高めるような刺激の特異性が存在するというのだ。
このように、tESが既にあるネットワークの活性状態に依存して、活性化されているニューロンネットワークのみを優先的に選択して調節する (一方で不活性のニューロンネットワークには関与しない)といった考え方は特に“課題中”においては最も有力な仮説である。
tDCSは、シナプス増強を引き起こすためには弱すぎる刺激だといわれている。単一ニューロンにとっては閾値下の非特異的刺激に過ぎないが、タスクパフォーマンスによって活性化される進行中のニューロンネットワークにとっては可塑性を高め得る十分な刺激なのではないだろうか。
つまり、この選択された神経活動がtDCSに敏感になることが本当であれば、臨床現場における特定の脳活動を高めるためにオンライン(作業中)のtDCSを利用することは理にかなっている。
「既に動いているネットワークの活動が、電気刺激による神経調節に対する感受性を決定している」ということだ。したがって、課題のネットワーク活動のレベル、tESによるネットワーク活動の変化をあらかじめ知っておくことは、tESの最終的な結果を予測する重要な予測因子となるだろうと思う。
③ 興奮-抑制バランスモデル : Excitation–Inhibition Balance Model
次にここまで紹介してきた活動依存モデルとは全く異なる2つの仮説モデルを紹介する。その一つが興奮-抑制バランスモデル Excitation-Inhibition (EI) Balance Model だ。先ほど紹介した刺激依存モデルで、刺激によって活性化したニューロンにおける性質を無視している(興奮・抑制の区別がない)矛盾点を指摘した。このモデルではその点を主眼に言及している。
現在の仮説によると、脳内のE / Iバランスは、興奮と抑制が互いに同程度の影響力をもつことで最適なパフォーマンスが得られる“逆U字型” が理想的なバランスだといわれている(図の左側)。安定して理想的なバランスを保つことで、活動依存可塑性とシナプス効率の恒常的な制御が可能となり、結果的に行動出力の制御につながると考えられている。
一方で、図の右側に示したようなどちらか一方に偏ったアンバランスなE / Iバランスは非定型的な行動と関連している。tESはこのような個々の神経細胞レベルのE / Iバランスの偏りを標的にし、そして回復するために使用されうる。適度なレベルの活性化がE / Iバランスを最適化すると研究者らはみている。神経伝達物質の濃度やE / Iバランスの変化が様々な疾患と関連があるとする見方は神経科学領域では当然の仮説となっている。実際のところ、多くの健常者でE / Iバランスは偏っている (陽極tDCSが行動の改善を報告しているという知見から推測)かもしれないし、E / Iバランスの偏りを助長する方向にシフトさせ、行動上の悪化を招く可能性も否定できない。
自閉スペクトラム症とてんかん(日薬理誌148, 121~122, 2016)より
錐体細胞(グルタミン酸作動性神経:興奮性)は介在細胞(GABA作動性神経:抑制性)に投射も行っているはずだろうから、グルタミン酸レベルの増減はGABA放出量と相関すると予想できる。しかし、最近の計算モデリング研究によると、tDCSが異なる種類の介在ニューロンに対して相反する影響を誘発する可能性があり、より複雑なメカニズムの存在を示唆している。tDCSは、各個人の特性に合わせて適切に使えば、学習および認知機能において最適なE / Iバランスを回復する可能性がある*7。
私個人的な意見を述べると、これが一貫して当てはまることが証明されれば、発達障害を含む様々な非定型と呼ばれる脳に対してのtDCSを用いた臨床的なアプローチが可能になってくるだろう。今後は、神経発達障害者の脳内におけるE / Iバランスの評価を積極的に行っていくことで、将来のテーラーメード医療時代におけるtDCSのプロトコル設計に役立っていくことを期待したい。
④ ゼロサムモデル:Zero-Sum Model
もう一つが、ゼロサム (零和)モデルだ。ゼロサムゲインはFXや競馬のようなゲーム理論で採用されているモデルだ。簡単に言うと、「複数の人が相互に影響しあう状況の中で、全員の利得の総和が常にゼロになること」をいう。つまり、誰かが勝つと誰かが負けるので“総和”が“ゼロ”になるという概念である。私はこのレビューを読むまでまさか脳に“ゼロサムモデル”が提唱されるとは思ってもみなかった(これを書いてる今も懐疑的なままである)。
幾つかの研究グループはこの考え方を指示しており、認知機能の利益が存在すればそれを打ち消すだけの損失が生じているというのだ。tESに対して非常に批判的な概念となってしまうが、今日までこの理論の妥当性は示されていない (同時に複数領域を検査することが困難であるため)。ではこのモデルが有り得ないかといえば、それもまたいえない。例として、ひとつだけこの理論を採用した研究を紹介する*8。
簡単にこの研究の結果を紹介しようと思う。健康な成人らは6日にわたりtESを受けながら、新しい人工数字を学習する認知訓練を受けた (左図)。このとき、後頭頂皮質 (PPC)への刺激は学習の効率をあげたが、背外側前頭前野 (dlPFC)への刺激は学習効率を損なった。一方で、PPCへの刺激はストループ課題*9における成績を落とし、dlPFCへの刺激が成績を伸ばした(下図)。
dlPFCは「何に注意を向けるか」という課題遂行のための注意の維持に深く関わっているため、ストループ課題においてはdlPFCに刺激を受けた方がZスコアが良くなった。PPCは分類や空間的注意のような課題を統合する認知処理において重要視される脳領域であるため、刺激を受けて学習効率が良くなった。つまり、tESはある認知機能を向上させたが、同時に別の認知機能を低下させ、結局プラスマイナスゼロ。観察された二重解離は、他の認知機能を犠牲にして認知増強を得ていることを示している。
この発見は、tESが全能性神経強化ツールとして使用されることに疑問を投げかけている。他の機能の変化を誘導せずに単一の認知機能のみを修正することは不可能なのかもしれない。脳内の限られたリソースの概念は、心理学の分野ではそれほど新しいものではない。脳が閉鎖エネルギー系として機能すると仮定すると、脳への刺激は常に「ゼロサム」効果を有することになる。
脳が刺激されるとさまざまな脳領域またはネットワークにわたるリソースの配分が調整され、 1つのネットワークにおける活動の増強または抑制は、限られたリソースの再分配のために、必然的に他のネットワークにおける障害または増強につながる。この結果は、ダイナミックな血流量の変化や代謝速度の調節がtESによって引き起こされているという根拠の裏返しでもあるかもしれない。
【結論】Conclusion
ここまでに提案されたモデルは、残念ながら十分に立証されていない。多くの研究が今なお行われているが、結果の解釈は非常に困難であり、より厳密なモデルの構築が急がれる。今後はここで紹介した仮説モデルの証明を行っていかなければならない。乗り越えるべき課題が数多く存在している。
「筆者らの意見をまとめてみると」
- 異なる刺激条件(刺激の強さ・刺激の種類・電極の場所など)によって神経細胞の興奮性をいかに変化させるかを、研究者たちは正確には把握していない。
- 動物およびヒト研究でtESが適用される疾患が存在するが、一般化は困難である。
- “刺激依存モデル”の考え方のみから、得られる効果を予測することは不可能である。
「今後のtESの発展について」
- 様々な刺激条件ごとの個人間でバラついた結果を収集し、結果に関わらずデータを蓄積すべき段階である。
- tESの得られる効果を定めるため、神経生理学的な指標 (ネットワークの活動)も同時に記録していくべきである。
多くの研究者は経頭蓋への電気刺激(tES)の効果を確信しつつも、多くの要因が影響を及ぼすことから使用の難しさを実感している。上述のように、現在進行形で変化するニューロンのネットワーク状態および形態は、陽極や陰極が単一細胞に与える影響よりも、tESの刺激応答を決定付ける重要な役割を示すのでないだろうか。
tESは脳の活動を無理やり"動かす"ものではなく、むしろ最適な方向へ"導く"と考えるとしっくりくる。これから多くの分野で活用が期待できそうだ。患者を治療するためのユニークなアプローチではなく、治療のサポートとしてtESの適用を進めていくべきだと思っている。このレビューの筆者らはtESは「使いやすい」技術ではないことを強調している。しかし、tESの最新の知識をもち、厳密なプロトコルのもとに使えば非常に有益であることは間違いないだろう。今後の研究にますます期待が高まる。
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発達特性研究所 (RIDC: Research Institute of Developmental Characteristics)
本記事は株式会社ライデックによって作成されました。できるだけ、簡単でわかりやすい言葉で、英語を日本語に意訳していますが、データの解釈や内容表現に誤りがあれば、コメント欄にてご指摘ください。また、弊社HPやTwitterにてさまざまな発達特性情報を発信していますので、興味のある方はそちらもチェックしてみてください。
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*1:昔ほどではないが現在も重症のうつなどを対象に行われている。当時でも死亡は非常に稀で、近年は安全になってきたがよく健忘などの重篤な副作用のリスクがあるためよほどのことがなければ推奨はされない。
*2:頭にバンドを巻くため、その締め付けによって頭痛が起こることはある。
*3:Liebetanz and others 2002; Nitsche and others 2003
*4:Jacobson and colleagues 2012
*5:一定の電流を維持するために、インピーダンステスターによって、刺激装置から供給される電圧を調節している
*6:Bikson M, Rahman A. 2013
*7:tACSやtRNSの電気刺激がE / Iバランスを調節できるかどうかは現在知られていない
*8:Iuculano and Cohen Kadosh 2013
*9:数字が大きい方をすばやく選択する課題である。一般的にストループ効果の例としてよく用いられる「文字意味」と「文字色」 (例:青色の「あか」や緑色の「きいろ」など)の干渉が数字でも起こる。すなわち、物理的に大きいものが実際には小さい数字である“不一致”が提示された際に認知機能に負荷が生じる。